短時間なので収入も…ですが、長く続けられるのが一番かもしれないです。
就職から1年
短時間なので収入も…ですが、長く続けられるのが一番かもしれないです。
このシリーズはこれで終わりにしようと思います。
結局は過去のことで、もう戻れないことです。
いつまでも、しがみついていても仕方ないので。
前回C社までいったので、D社から。
D社(金融関係。銀行ではないです。営業事務で2カ月、フルタイムパート扱い)
ハローワークからの応募でした。このD社、前に就活をしていた時も求人票が出ていた所
でした。そう、今思えば、何度も求人が出ているのは、何かある!会社なんです。そしてやっぱり、何かありました。
・求人票には一般事務とありました。が、採用後は営業事務に。
・引き継ぎも一応ありました。が、前の方が派遣の方で週4日で5時間勤務。引き継ぎ期間中に全て教えてもらうことができませんでした。しかも一番大事な業務(売上報告書?)のやり方を教えてもらえなかったこと。マニュアルに彼女が書き足したものは残してくれましたが、さっぱり分からず…
・その派遣の人を教えた人は営業で1日外回り。1週間に1回会えればいい方。
・売上報告書?はエクセルでしたが、どことどこが合えばOKなのか分からず。初めての作業の時は、派遣の方が残してくれたマニュアルと、派遣さんを指導した方に教わって作ったのですが、金額が合わず、上司に「合わない」と言われて。でも、どことどこが合えばOKなのか、用語の説明もなく…苦労しました。
・営業事務の仕事も覚えていないうちに、他部署のデータ入力もやることになってしまってました。あと、架電も。説明もざっくりなので、毎度、聞きにいくはめに。
・総務(人事)担当の方に「ちょっと大変です」みたいにSOSの相談したのですが、「慣れるから」の一言で片付けられました。
・直接の上司も、派遣さんは「優しいから」と言ってましたが、私には全然そうは見えなくて。突然USBメモリを出して、「この中にある○○添付して××さんにメールして」と。メールの文章を口に出して言うので、それを私が文章にして、その後、上司に見せて、OKならメールする…でした。その上司、PC使えるんです。「私に打たせるぐらいなら、自分で打った方がいいんじゃ…」と思いながら、やってました。
多分、派遣さんだったから優しかったんじゃないかと
そんなこんなで、
○日までにやらなければならない仕事と他部署の仕事がブッキングして、昼休みも、お弁当食べたらすぐ、PCに向かって仕事。残業は基本してはいけない所だったので、どんどん仕事がずれていって…
ある日の午後、気がついたら、右手が震えていました。そう、C社の時になった転換性障害が発症したのです(ちなみにC社からD社の間には別に1社が入りますが、その1社では、右手の震えは出ませんでした)。
右手の震えはなかなかおさまりません。
それをみた上司から「こんなんじゃ仕事は無理。病院に行きなさい。雇い止めにします。明日から来なくていいから。荷物をまとめて帰りなさい。あとで連絡します」と言われました。当日、病院は休みだったので、泣きながら、翌日行きますと言って、荷物をまとめて帰りました。
翌日、病院に行った後だったでしょうか。D社から電話があり、土曜日に来て下さいとのこと。保険証と印鑑を持ってくるように。とのことでした。
土曜日にD社に行きました。基本休みの会社で、出勤している人は数人でした。
総務(人事)担当の人から、離職票を渡され、印鑑を押すよう言われました。
そこには離職理由に「一身上の都合により」と書かれていました。
印鑑を押してから、再度、「上司から、雇い止めにしますと言われたんですが、それでも自己都合なんですか?」と。そしたら総務(人事)担当が「会社都合にすると、ぷあさんが次に就職活動する時に大変だと思うから自己都合にしました。これは会社の温情です」と言われました。
で、結局、D社を辞めました。
D社では試用期間中でしたが、労働契約の書面もありませんでした。
辞めてから、自治体の労働局に事の経緯を相談したことがありましたが、労働局では「多分、不当解雇に当たると思います」と言われました。争うこともできましたが、上司の「雇い止め云々~」からの言葉は録音等もしてなかったので、相手が「言ってない」といえばそれまでですし、労働局からは、「精神的にキツい(辛い)ですよ」と言われました。もし争っても、結果は変わらないと思うので、争いはしませんでしたが、労働局からは「さしつかえなければ、会社名を教えてくれますか?」と言われたので、教えました。
D社には心療内科に通っていることも面接時に伝えていました。
仕事を始めてからは、別部署の人に「あそこ(私がいた所)は1人では難しいんだよね~」とも。どうやら出入りの激しい部署だったようです。
私が辞めてから、時給を上げて求人が出ました。一度取り消されたので、「誰か決まったんだ」と思っていたら、また求人が出ました。未だ出たままです。
思い出したくないところ…は、これで終了させていただきます。
こんなの大したことないって思う人も多いと思います。
私の場合、この後に就いた仕事で倒れてしまって、手帳を取ることになり、コミュニケーションが下手だったので、続かなくなってしまっていたようです。
なので、メンタルを強くしなければ…と思うと同時に、
私の特性を分かってくれるところで仕事をしたいとも思っています。
長文で読みづらいところもあったかもしれません。
次回は、できたら、楽しい記事にしたいと思います。
先月にその1を書いていたので、その2を書こうと思います。
その1ではB社まで書いたので、C社から。
C社(私が心療内科へ行くきっかけになった会社です。業界を書くと、推察されてしまうので、あえて書きませんが、データ入力とデータ更新担当でした。約1年4カ月)
あるビルの1室にあったと思います。他の会社も同じフロアに入っていたかもしれません(覚えてないです)。
部署が3つあり(総務と他2つ)。私は他2つのうちの1つの課の所属でした。3つの部署は同じフロアにあり、仕切りはありませんでした。
私はアルバイトで入りました。所属した課には、お局さまがいました。そして、別の課にそのお局さまのお仲間(3人)がいました。
男性社員が10数人、女性は8人ほど(うち1人が社員だったと思います)。
そして、お局さまに何気な~くイヤミっぽい感じを出されました。
※お局さまをaさん、お仲間をb、c、dさんとします(お仲間の中に社員さんがいました)
ちょっと変わった雰囲気の会社で、
・お局aさん、bさんが社員の数人を“ちゃん”などと呼ぶ。社員にタメ口で話す
例えば、○彦という名前の社員さんがいたら、“○ちゃん”という感じ
・9時始業でしたが、10時に休憩をとる(お局aさん、bさん)。しかも15分くらい話をしている(私のことも含めて影で色々言ってたと思います)
(フロア内にロッカーがあって、それが仕切りの代わりになっており、ロッカー側に給湯室があったので、ロッカー側でおしゃべり)
・冬に私が滑って背中を打ったことがあり、その話をしたら、お局aさんが大笑い(他の人は「大丈夫だった?」と言ってくれたのに…)
・バスで通勤してましたが、帰りに同じ停留所にいた時に「あのさぁ~仮病使わないで(仮病は使ってない)」と急に言われました。「サボってる風にも見える」とも。10時から15分ぐらい話をしてる方がサボってるんじゃないか…なんて思ったけど
・社員さんが仕事の手順を説明してる時に、横から「こうした方が…」と口出しする
・大量印刷する時は事前に言ってください(印刷機が少ないので)と言っておきながら、お局さんとbさんは言わずに大量印刷
・失敗すると皆がいる前で怒る
などでした。
私が入る前にアルバイトで入っていた人がいましたが、辞めていきました。辞める時にこっそり理由を聞いたら「いじめ」と言っていました。「誰?」と聞くと「分かるでしょ」と。「aさん?」と聞いたら、「そう」と言って、その後、「○○(私の苗字)さん、大丈夫?」と言ってくれました。多分、その人は、私が標的になっているのを分かっていたんだと思います。aさん、bさん、cさん、dさん以外のバイトの人も知っていたと思います。何せ、みんながいる前で私に怒ったりしてましたから。
C社は支店で、トップは課長(支店長という肩書きはない)でした。
が、課長さんもバイトが社員を“ちゃん付け”したり、タメ口で話したりすることに注意はしませんでした。
お局aさんと仲間たち以外でも男性社員さんがキツかったです。納期に納品しなくてはならないものをリスト化してくれて準備するのですが、私は初めてでリストに書いているもので分からないものがあるのに「納期が迫ってるのになんで準備できてないの!」と言われたり。繁忙期が一番大変で、
“納期が迫る→怒られる→できないのは自分のせいと思う→でも納期がくる”という風になっていました。
その間に、更新についての面談がありました。噂で「辞めさせられる人がいるかも」と聞いてました。私の面談では3カ月後に契約満了(3カ月更新)と言われてしまいました。そのショックもあり、心療内科に行って診てもらおうと思い、某心療内科に電話したら、新規患者は1週間待ちと言われ、さらに私の心は焦りでキャパオーバーしてしまい、ある日突然、右手の震えがきたのです。その日は早退をしました。
翌日、会社に行こうとしましたが、家を出ても、どうしても会社に行けません。右手も震えてしまい、会社に休むという連絡をし、県の精神保健センターに泣きながら電話をしました。その日のうちにセンターに行き、現状を話したら、新規ですぐに診察してくれる今の心療内科を紹介してもらいました。センターから紹介状をもらって、心療内科に行き、診断書を書いてもらって辞めることにしました。3カ月我慢すれば契約満了でしたが、3カ月後は就活には厳しい時期だったこともあり、辞めることにしました。
診断書をもらい、C社に辞める旨を伝えに行ったのですが、C社が入っているビルの前で動くことが出来ませんでした。すると、アルバイトの女性eさん(この方は、良くしてくれました)が来て、私に声をかけてくれました。私は涙いっぱいでした。しばらくして課長が出勤してきました。eさんが課長に話をして、3人一緒にエレベーターに乗り、会社に入りました。私は直接、別室に通され、課長さんを待ちました。課長さんと部署の上司(人事担当でもある)2人が来たので、診断書を出して辞めたい旨を伝えました。
結局、更新を待たずして辞めることになりました。失敗だったのは、診断書のコピーをとっておかなかったことです。診断書を出す場合、病院からの封書に封がしてなければコピーとった方がいいと思います。
辞めてから、しばらく経って、私のSNSに嫌がらせのようなアカウントからエアリプが来たりするようになりました。
フォロワーさんのお子さんが毛じらみになった話をした時も「あなた(ぷあのこと)の頭は臭い」とか、私がファンのV6からの会報が来たとツイートすると「あなたのところに来た会報がかわいそう」等々。最初はフォロワーの誰かがやっているかと思ったのですが、あるフォロワーさんがその嫌がらせアカウントのツイを見て「会ったことがある人だよ」と言ったのです。後で分かったことですが、C社のbさんがやっていたようです。そうお局aさんのお仲間さんです。eさんが「bさんが一番たちが悪いよ」と教えてくれたことがありました。どうやらC社にいた時に名前やアイコンを見られたようです。
今はその嫌がらせアカウントは、飽きてしまったのか、全く音沙汰なしです。
そして、eさんから、お局aさんも、その後、契約を更新できずに辞めたと聞きました。
と、結構長文になってしまいました。
これで終わる予定でしたが、続くかも(^^ゞ
※訂正
1月12日のジャニーズ用語に間違いがありました。少プレの所で、2代目MCがTAT-TUNと書きましたが、正しくは「KAT-TUN」です。ファンの方々、読者の方々、本当に申し訳ありませんでした。